新撰組といえば池田屋事件が有名です。ここでは、その池田屋事件での逸話の一つ「階段落ち」は本当にあったのか、そして現在池田屋跡はどうなっているのかをご紹介します。時代劇で有名になった階段落ち近藤勇を先頭に池田屋へ踏み込んだ新撰組は、京都大火な ここでは、その資料館と新撰組ゆかりの観光スポ... 戊辰戦争とは、薩摩・長州・土佐藩らを中心にした新政府軍と、新撰組ら旧幕府勢力らが戦った、一連の戦闘のことを指します。 こちらも超有名な映画ながらまだ観たことがないので楽しみです♪, 角川映画祭第2弾/第四夜・蒲田行進曲 | 今日もこむらがえり - 本と映画とお楽しみの記録 -, 備忘録としての読書日記。主に小説がメインです。その他、見た映画や美術展に関するメモなど。. shinsengumi@history. https://ameblo.jp/wonda007/entry-12318709946.html.

しかし、隊士達は任務で大阪へ行くこともあり、現在でもゆかりの地が残っています。 ここではその中でも有名な3人の、ちょっと笑... 新撰組といえば、活躍の場は京都が有名です。 2019/3/8 つかこうへい傑作選 1(1994年11月、メディアファクトリー、isbn 9784889913279) 舞台上演 [編集] つか演出舞台作品 [編集]. 数十メートルもの高さからの命がけの階段落ちのスタントを引き受ける役者が見つからず、ご時世的に会社も難色を示し頓挫していたこのシーンの撮影成功に、自分のキャリア復帰をかけた銀ちゃん。に、頼み込まれたヤス(苦笑)は、銀ちゃんへの恩義と小夏への愛情と小夏との平和な生活への� 小説や漫画の世界では、新撰組の中に女剣士がいたというストーリーが展開されているものもあります。 しかしこの二つの組織には決定的な違いがあります。... 幕末の京都で活躍した剣客集団・新撰組。 その羽織は本当に浅葱色だったのか?また本物の羽織は残っているのかについて... 新撰組ゆかりの地は全国各地にありますが、ゆかりの地である京都に興味深い資料館があります。 蒲田行進曲:戯曲 つかこうへい新作集(1982年4月21日、角川書店、isbn 9784048760119) 銀ちゃんが逝く. Copyright © CyberAgent, Inc. All Rights Reserved.

新撰組, ここでは、その池田屋事件での逸話の一つ「階段落ち」は本当にあったのか、そして現在池田屋跡はどうなっているのかをご紹介します。, 近藤勇を先頭に池田屋へ踏み込んだ新撰組は、京都大火などの密談中の長州藩士らと斬り合いになり、見事に勝利します。, 池田屋事件は、池田屋事変・池田屋騒動ともいわれており、近藤勇の書面では「洛陽動乱」と記されています。, この池田屋事件自体は史実に基づくものですが、そこでの逸話の数々はかなり脚色された部分が多いと思われます。, 近藤勇ら新撰組は、長州藩士たちが池田屋の二階で密談をしているとして階段を上り、斬りかかってきた相手を次々に斬り倒しました。, そして斬られた相手は次々と階段を転がり落ちるという場面は、時代劇などで一番の見せ場です。, しかし伝えられている史実や残された写真を考察すると、当時の池田屋はそれほど大きくなく、階段も狭いものでした。, 階段は小さく急こう配で、とても次々と人が転がり落ちるほどの余裕はなかったと思われるのです。, また、激闘であったことは確かですが、ずっと斬り合っていたわけではなく、ほとんどはお互い様子を窺う時間が多かったのではないかという考察もされています。, 池田屋というのは市街地に建った普通の規模の旅館ですから、時代劇のような派手な斬り合いは、かなり脚色されたものと受け止めるのが正解かと思われます。, 池田屋事件後、攘夷志士たちをかくまっていたとして主人の池田谷惣兵衛が捕縛され、後に獄死しました。, 池田屋は7か月間の営業停止の後、親類らによって近所で営業を再開しましたが、後に廃業し現存していません。, 元の池田屋は、別の経営者の手によって「佐々木旅館」として営業を続けていましたが廃業しましたが、1960年頃までは当時の建物はそのまま残っていました。, しかしその後取り壊され、跡地はテナントビルとなって、飲食店やパチンコ屋などになりました。, この居酒屋は、新撰組と当時の池田屋を意識した内装になっており、大きな階段も作られています。, それほど大きくはない店ですが、外装やメニューにも新撰組にこだわった工夫が凝らされ、新撰組ファンなら一度は訪れたい場所となっています。, また店の脇に「池田屋騒動之址」という史跡を示す石碑もあり、それは佐々木旅館の縁者が建立したものです。, 新撰組, 池田屋, 階段落ち, 跡地 ... 新撰組といえば、浅葱色のダンダラ模様の入った羽織が有名です。 この度ブログ友ワンダさん立案の楽しい企画「角川映画祭第2弾」に参加する光栄にあずかりました!全6本の角川映画をリレー方式でレビューするこの企画、私は第四夜「蒲田行進曲」を担当させて頂きます♪(ワンダさんの告知ページはコチラ:https://ameblo.jp/wonda007/entry-12318709946.html)つかこうへい&深作欣二&角川映画という日本のエンタメ界の至宝のタッグ。ワンダさんの角川映画祭弟1弾の人気投票でも3位。周囲にもこの映画のファンの方は多く、そういえばうちの父もテレビで再放送されるたびに観ていました。いつか観てみたいなぁと思っていた作品なので、このキャンスにレッツ♪^^。, 大作時代劇「新選組」の撮影が進む京都の撮影所を舞台に、人気に陰りが出始めたスター俳優と落ちぶれた女優と万年大部屋役者の、映画監督や人気上昇中の若手スター、取り巻き、撮影所スタッフらも巻き込んで繰り広げられる可笑しくも快い人情喜劇。, 土方歳三役役の大物俳優、銀四郎(風間杜夫)は自分が主役なのに坂本龍馬役の橘(原田大二郎)の上り調子の人気に押されてカット数が減らされていくのに危機感を覚える今日この頃。取り巻き兼付き人の大部屋役者たちを引き連れて破天荒なスターっぷりを披露する一方で、お酒に酔うと「この店に入ってもう1時間経つのに誰も俺のサインを求めてこない~俺は落ちぶれたんだ~ウワーン」と泣いてグズるダメ男な面も。我儘で子供で乱暴者でどうしようもないスター様だけれど、可愛げがあって憎めず、付き人たちは何だかんだ銀ちゃんが大好き。, 風間杜夫さんが昭和的ステレオテイプな”スター”を振り切って演じていて、懐かしいやら可笑しいやら( *´艸`)。教養ゼロな成金俳優銀ちゃん。車は白いキャデラック!(いっちゃん高いの、ちょーだい!なノリに違いない。ププっ)でも運転免許持ってないので付き人に運転させて自分は後部座席。まるで夏休みの家族旅行にでかける小学生のように見えるのは私だけ?(笑) しかもこのキャデラックの、銀ちゃんセンスによる王将柄のデコがもの凄い。すげーなっΣ(゚Д゚)と驚いていたら、彼のお気に入りのモチーフらしくこの後同じパターン柄のネクタイやら何やらと頻出(笑)。基本、王将柄か、ギンギラ。好きな色は金と赤とピンクと紫といった感じ。解かりやすく品がない。うぷぷー( *´艸`)。, そんな銀ちゃん、長年の腐れ縁の恋人で女優の小夏(松坂慶子)が妊娠すると、あろうことか身ごもった小夏を付き人の中でも一番人の良いヤス(平田満)に押しつけちゃいます。10年前は主演をはった売れっ子女優だったとはいえ今ではすっかり落ち目の夏子とは結婚する気にはなれない、でも小夏が未婚の母になってその相手が自分だと知られたらスキャンダルになって自分のキャリアも終わってしまう。だからヤス、小夏と結婚してくれ、お前ならきっとこいつを幸せにしてくれる!と、アンビリバボーな思考回路にヤスもビックリ仰天。, 実はヤスは小夏の大ファン。部屋に飾ってあったジェームス・ディーンのポスターを剥がしたら下から小夏の10年前の主演映画のセクシーなポスターが(笑)。ヤスは大好きな銀ちゃんのため、憧れの小夏を幸せにするため、銀ちゃんの無茶ブリを受け入れて必死に頑張ります。少しでも小夏に良い暮らしをさせてあげられるように、ヤスはどんどん危ない=怪我のリスクの高いBUT歩合のよい、端役の仕事をガンガン受けるようになります。撮影を何件も掛け持ちし、さっき斬られたばかりなのに眼帯付けて「さっき切られたのは弟です」と言い張ってまた斬られたり。, そんなに無茶して大丈夫か?やり過ぎじゃないかと周囲に心配されるたびに明るく「大丈夫っす!」と答え、「コレ(女房)が、コレ(妊娠)なんで・・・てへっ。俺、頑張らなくっちゃ」と笑顔のヤス。「コレが、コレで」って懐かしい~( *´艸`)。このアレンジが子供の頃何かのCMですごく流行って?た記憶が・・・^^。裏切られ捨てられても銀ちゃんが忘れられずヤスをバカにして冷たい態度を取っていた小夏も、馬鹿がつくほどお人よしで優しくて一生懸命なヤスに少しづつ気持ちがほどけていきます。映画女優なんて華やかな仕事をしているけれど実は庶民派で家庭的な性格だった小夏^^。, ヤスの頑張りが実ってついに小夏と相思相愛、撮影所の皆にも祝福されてハッピー・ウェディング♪ラブラブ新婚生活も順調、小夏の出産予定日も近づいてきてもー幸せ絶頂、順風満帆なヤスですが、このままハッピー・エバー・アフター、はつかこうへいさんがさせません(笑)。銀ちゃんのトラブル、小夏と銀ちゃんのやけボックイへの不安、小夏は小夏でヤスを好きになればなるほど他の男の子供を産むことに後ろめたさも。お互いの幸せを思えばこそ、気持ちのすれ違いで必要のない喧嘩になってしまったり・・・出産間近に訪れる、ウソから出たマコトな夫婦のクライシス。, 一方こちらは芝居のクライマックス、坂本龍馬が潜伏していた池田屋への新選組の討ち入りシーンでの日本映画史上最大級の大掛かりな階段落ちのシーン。数十メートルもの高さからの命がけの階段落ちのスタントを引き受ける役者が見つからず、ご時世的に会社も難色を示し頓挫していたこのシーンの撮影成功に、自分のキャリア復帰をかけた銀ちゃん。に、頼み込まれたヤス(苦笑)は、銀ちゃんへの恩義と小夏への愛情と小夏との平和な生活への執着の狭間で大きく揺れながらも、小夏の反対を押し切って一大決心。どうなる、それぞれの運命、特にヤスの命。, 今では超ベテランな域の風間杜夫さんと平田満さんですが、この映画が出世作となったそうです。特に舞台出身の平田さんは初映画だったとか。そんなフレッシュさが良い意味で感じられない2人のなりきってふりきった演じっぷりと、それを受け止める松坂慶子さんの鬼気迫るほどの体当たり演技が圧巻です!, 松坂慶子さん~!最近ではお茶目な中年女性、または可愛いお母さんなどのふっくら柔らかいイメージが定着していますが、元々目鼻立ちの華やかな美女。顔立ちは華やかなのに、ダメ男との腐れ縁にズルズルしちゃう、ちょっと不幸めな空気をまとった女性が何故か様になっていてビックリ。妖艶さと可愛げと激しさと優しさが見事に同居。そして、ヤスと暮らすうちにどんどんトゲが取れてナチュラルな庶民派美人になっていく変化も素晴らしい。ヤスの実家のお風呂上りでの↑スッピン風メイクでの寛いだ小夏の表情、最高に麗しかったです♡, ドタバタあり、人情あり、喜劇あり、サスペンス?あり。テンポよく小気味よい展開で最後まで退屈する暇もなく笑ったりハラハラしたり涙ぐんだりで、楽しかったです(*^^*)。この映画のファンが沢山いる理由がわかりました。ラストシーンには一瞬ビックリして「えっ、えっ?!どういうオチ?!」と戸惑ったものの、ワンテンポ置いて「うん、これ好き」。なるほど、カーテン・コールの代わりですね。知らずに観ると最後にビックリがあって、それもまた楽しい演出だと思います。, あ、演出といえば。「セーラー服と機関銃」での薬師丸ひろ子さんのマシンガンぶっぱなしてからのスローモーションでの印象的な台詞「カ・イ・カ・ン」をパロったヒトコマも( *´艸`)。そんな、角川映画ならではのちょっとした遊びも楽しかったです^^。, テーマ曲の「蒲田行進曲」と、挿入歌の中村雅俊さん「恋人も濡れる街角」がまた、風情を添えていいですね~。観おわってからも一週間ほど、気が付くと頭の中でこの2曲がリフレイン状態でした( *´艸`)。, 中村雅俊さんが「懐かしのあの曲」みたいな企画で「恋人も濡れる街角」を歌う姿は時々見ることがあったので、歌を歌っていたことも、この曲も知っていましたがこの映画で使われていたんですねー(´ω`*)。, この企画に参加させて頂けることになって、レビューする角川映画を好きに選んで良いと言われて何も考えずに”前から観たかったから「蒲田行進曲」♪”って宣言した後で、ごく最近主催のワンダさん自身がレビューされていたことに気が付いたバカタレで、ワンダさんファンの皆様には大変失礼しました(;´Д`)。でも、映画ハカセなワンダさんの記事とは被りようもないことですし、今更ながら初めて観た人間がいて、そしたら結構楽しかったらしいな、ハハ。な視点で、暖かくお読みいただければ幸いです^^;。, 「角川映画祭弟2段」、第五夜は、ほくと さんの「 麻雀放浪記 」でーす! もともと『蒲田行進曲』は松竹の蒲田撮影所を舞台としているものの、つかこうへいは東映京都撮影所の大部屋俳優である汐路章の階段落ちの逸話をテレビ『徹子の部屋』で汐路が語ったことで知り、モデルに執筆したものであり 、実際は時代劇全盛期の東映京都の話として描かれている 。 ここでは、どういう事情で「局長」という役職名が選択されたの... 新撰組が活躍したころ、日本ではすでに「眼鏡」は一般に使われていました。 『熱海殺人事件』『ロマンス』等と並ぶつかこうへいの代表作の一つ。「新選組」の撮影真っ最中の京都の映画撮影所が舞台。土方歳三役の俳優・倉岡銀四郎(銀ちゃん)を中心に繰り広げられる、人間味溢れる活劇。クライマックスシーンの10メートルの高さの階段から転がり落ちる「階段落ち」は圧巻。, 1980年(昭和55年)、第15回紀伊國屋演劇賞を受賞。後に小説化、映画化されている。また、続編として『蒲田行進曲完結編〜銀ちゃんが逝く』が製作された。, 東映京都撮影所は、5年に1度の大作「新選組」の撮影に沸いていた。何といってもそのウリは、撮影所自慢の高さ数十メートルの樫の木の大階段で撮影するダイナミックなクライマックスである。池田屋に討ち入った新撰組隊士が、スタントを担当する“大部屋”役者を大階段の上から斬りおとし、壮絶に落下して行くその様を大迫力で映し出して映画を締めくくる、いわゆる『階段落ち』である。, もちろん、落とされた役者はただではすまない。軽くて半身不随、重ければ死亡という多大なリスクが付きまとう。しかし、撮影所の大部屋にすし詰めにされて日々を過ごす大部屋役者達が、それと引き換えに1日だけスターになれるのが、この映画だった。, この年、土方歳三役でその主役を張るのは倉岡銀四郎だった。彼には、自分を「銀ちゃん」と呼んで慕うヤスという大部屋役者がついていた。2人は、スターと大部屋という奇妙な組み合わせでありながら、それ以上に奇妙な関係を持っていた。銀四郎の恋人であり、その子を身ごもった女優・水原小夏を、彼は出世のためにヤスに押し付けたのだ。, 妻の腹の中にいるのが自らの子ではないと知りながら、夫となったヤスは大部屋として危険な役をこなしてお産の費用を出そうとする。結婚してからも銀ちゃんに惚れ込んでいた小夏の心は、子供の父親として頑張るヤスへと次第に移って行く。が、そこに、小夏が自分にとってもっとも大事な女性だと気づいた銀四郎が戻ってくる。, 1980年(昭和55年)11月、つか主宰の劇団つかこうへい事務所によって紀伊國屋ホールで初演された。この時の演題は「銀ちゃんのこと」であった。つかは1982年(昭和57年)に一旦演劇活動を休止し、劇団を解散した。解散公演では本作が再演された。その後も1999年(平成11年)、2000年(平成12年)、2006年(平成18年)とたびたびキャストを変えて上演されている。, また、1994年(平成6年)には続編となる『蒲田行進曲 完結編 銀ちゃんが逝く』が初演された。, いのうえひでのりの演出で劇団☆新感線が1983年5月13日-15日に大阪阪急ファイブ・オレンジルームで上演。, 白石恭子、岡本康子、猪上秀徳、枯暮修、渡辺いっけい、筧十三、坂本ゼンジ、ジャンキー鈴木、坂本チラノ ほか, 『銀ちゃんの恋』と題し石田昌也の潤色・演出で、宝塚歌劇団により宝塚バージョンとして1996年(平成8年)に初演。, 劇作品の上演用戯曲をつかこうへい自身が小説化した作品。初出は『野性時代』1981年(昭和56年)10月号発表の「銀ちゃんのこと」。『蒲田行進曲』と改題、加筆の上、同年11月に単行本化され、1982年(昭和57年)1月には第86回直木賞を受賞した。, なお、直木賞の選評で選考委員の一人五木寛之は『蒲田行進曲』が天皇制と身分差別についての影絵文学であることを見抜いていると、つか自身がその著書で述べている。, 1987年(昭和62年)6月には、続編となる『銀ちゃんが、ゆく 蒲田行進曲完結篇』が刊行されている。, 戯曲をつかこうへい自身が映画向けに脚色し、深作欣二が監督した映画作品。1982年(昭和57年)に松竹と角川春樹事務所が共同製作した、いわゆる角川映画として松竹系で公開された。同時上映は『この子の七つのお祝いに』。TBSは製作に名前を連ねていないが、資金不足を補うため、完成前に角川春樹がTBSに放送権を売って、放送権料という形で3億円を出資している[2][注 3]。, 舞台の段階から各社で映画化の争奪戦があり[5]、企画は東映プロデューサー・佐藤雅夫と書かれた文献もある[6]。つかこうへいが自ら監督してフジテレビ資本で映画化するという構想が最初だったが[5]、往年の松竹蒲田をタイトルにした作品とあって、松竹ではこれを他社でやられては会社のメンツに関わると、執拗に映画化権獲得に動いた[5]。つかは『蒲田行進曲』の映画化より1982年の大晦日にテレビ東京が紅白歌合戦にぶつける『つか版・忠臣蔵』を製作することに賭けていて、出版元の角川書店が、この番組の大手スポンサーに付くことと引き換えに、つかから『蒲田行進曲』の映画化権を取った[5]。角川春樹は仲の良い東映社長の岡田茂に東映での映画化を提案したが[7][8][9]、岡田から「楽屋オチの話なんて誰が見るのか」と断られた[7][8][9]。これを聞いた松竹が角川に猛アタックし[5]、角川から、企画、製作、宣伝もすべて角川方式にするという条件を飲まされ、映画化権を得た[5]。東映に顔の利く角川が原作の舞台になっている東映京都の太秦撮影所を使うことを決めた[5]。, 当時の日本映画界を席捲していた角川映画とやっと念願の提携を果たした松竹であったが、撮影は松竹の撮影所でなく、あえて東映の京都撮影所で撮影するという異例の試みが取られた[2][10][11]。弱体化したにっかつが、他社のテレビ映画などに撮影所をレンタルした例はあるが、メジャー映画会社同士で他社の作品を撮影するのは、映画界始まって以来の珍事[5]。監督も東映出身の深作欣二であり、こうしたねじれがあったせいで最初は東映側、松竹側の双方で軋轢があったという[11]。もともと『蒲田行進曲』は松竹の蒲田撮影所を舞台としているものの、つかこうへいは東映京都撮影所の大部屋俳優である汐路章の階段落ちの逸話をテレビ『徹子の部屋』で汐路が語ったことで知り、モデルに執筆したものであり[12][13]、実際は時代劇全盛期の東映京都の話として描かれている[14][15]。撮影時の東映京都撮影所の所長だった高岩淡は、劇中の「銀ちゃん」は東映の「錦ちゃん」こと中村錦之助(萬屋錦之介)をイメージしたようだと語っている[16]。, 深作欣二は1981年の『青春の門』撮影後に、松坂慶子主演・野上龍雄脚本で、五木寛之原作の『朱鷺の墓』を映画化したいと松竹の織田明プロデューサーに要請し[17]、金沢のシナハンも終え、カナダロケの段取りをつけるなど、かなり製作が進んだ段階で、深作と野上が『朱鷺の墓』の製作中止を織田に申し出た[17]。後処理の難航で、松竹はかなりの損害を被ることが予想されたため、織田が二人に代替案を要求し[17]、野上が『魚影の群れ』を、深作が田辺聖子原作の『休暇は終わった』と松竹が企画として挙げていた本作『蒲田行進曲』を出していた[17]。深作の監督就任で製作が一気に進んだ[17]。, 配役は松竹作品ということで、まずヒロインの小夏に松坂慶子が起用された。銀四郎とヤスについては難航し、プロデューサーの角川の提案で松田優作に銀四郎役の出演依頼がなされたが松田は辞退し、結局スケジュールの余裕がなくなったことから、つか作品の舞台に数多く出演していた風間杜夫と平田満が主役に起用され、結果的に2人の出世作となった[18][19]。風間が深作に指名されたのは撮影直前のことだった[20]。松竹の幹部は風間も平田も知らなかった[21]。また、映画でキャリアのない平田に対して深作は「舞台のままにやってくれたらいい」と気遣ってくれたという[22]。, 有名な"階段落ち"の階段は、芝居では階段のセットはなしで上演されたが[23]、映画では実際に階段落ちをやった。東映京都スタジオに高さ約8m、35段の階段セットを組み、1982年8月13日に撮影が行われた[23]。スタントも最初は平田満自身がやる予定だったが[24]、舞台も控えていて深作が「ケガはさせられない」と言ったため[24]、平田には上から6段だけ落ちてもらい[23]、以降の29段はJAC所属の猿渡幸太郎がやった[23][24]。階段のへりにゴムをはり、ウエットスーツを着てのスタントであった。, 京都ロケでは、当時中学生だった桧山進次郎がセリフなしのエキストラとして出演していた。, 深作は「デビュー当時、岡田茂にいわれた映画の三要素"泣く、笑う、(手に汗を)にぎる"の三拍子が揃った」と自負した[25]。, 上述の通り、岡田茂は角川に「ヒットしない」と言ったが[2][8][9]、配給収入は17億6000万円と大ヒットを記録[26]。アンコール上映も行われた[2]。それまで角川映画は大量宣伝によりヒットしていた一方で、話題先行で質が伴わないという風評があったが、本作によってようやく作品的にも評価されるようになり[14][27][28]、第6回日本アカデミー賞をはじめ映画界の各賞を多数受賞した。大量の宣伝スポットによりヒットしてきた角川映画において、口コミ中心で面白さが伝わり大ヒットしたことも角川映画としては異例であった[26]。, 松竹の野村芳太郎は、自分たち松竹映画の過去を象徴する「蒲田行進曲」というタイトルの映画を東映出身の深作欣二に撮られたことに憤り、4年後の1986年に自らプロデューサーとして映画『キネマの天地』を企画した[29]。蒲田撮影所時代を経験している松竹のカメラマンだった厚田雄春は、『蒲田行進曲』『キネマの天地』のどちらも蒲田撮影所の当時の雰囲気が出ておらず、それは無理もないとしながらもやっぱり物足りないと評している[30][31]。, 『決定版!蒲田行進曲』と題して、TBSの『日立テレビシティ』にて、1983年6月22日に前編、6月29日に後編と、2回に分けて放送されたテレビドラマ。銀四郎役の沖雅也が6月28日に飛び降り自殺したことから、翌日の後編の放送分は話題となった。, TBS、1991年年末ドラマスペシャル。12月30日(月曜日)に放送。放送時間は21:00 - 22:54(この枠は『月曜ドラマスペシャル』枠だが、本作は『月曜ドラマ〜』扱いはされない)。, 金田信一郎『テレビはなぜ、つまらなくなったのか スターで綴るメディア興亡』日経BP社、2006年、pp.116-118。, 山根貞男、米原尚志『仁義なき戦いをつくった男たち 深作欣二と笠原和夫』NHK出版、2005年、p.46。, 『キネマ旬報ベスト・テン全史1946-1996』キネマ旬報社、1984年初版、1997年4版、p.212。, 聞き手西村明「インタビュー 松田優作―二度すれ違って、初めて会った役者 深作欣二」『松田優作クロニクル』キネマ旬報社、1998年、pp.70-71。, 角川春樹氏、思い出語る「ひとつの時代終わった」…岡田茂氏死去 スポーツ報知2011年5月10日(archive), 銀ちゃんが、ゆく 蒲田行進曲完結篇(1987年6月22日、角川書店、ISBN 9784048724661), 深作欣二、山根貞男『映画監督深作欣二』ワイズ出版、2003年、pp.396-404.

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